長年テリー・ライリーを演奏で支えてきたクロノス・クァルテットからの呼び掛けに応えて、有志で集まった私たち実行委員は今日まで、”Terry Riley Kronos Quartet Matsuri(祭)”(通称 TRKQ Matsuri)の準備を重ねてきました。
20世紀後半の音楽の相貌を一変させた、テリー・ライリーの記念すべき90歳の誕生日に、彼が愛する日本で誕生日コンサートを実現したい。その一心で準備を進めてきました。
テリー・ライリーとクロノス・クァルテットの出会いは1978年、カリフォルニア州オークランドのミルズ・カレッジでした。クロノスのメンバーたちはアーティスト・イン・レジデンスとして、ライリーは作曲や即興、ヒンドゥスターニー古典音楽を教える先生として、同カレッジに通っていました。本来であれば交わる機会もなかった中、若きクロノス・クァルテットのメンバーたちは、ライリーに「僕たちに曲を書いてください!」と直談判しに行ったのです。
今でこそトップアーティストとして名を馳せるクロノス・クァルテットですが、当時はまだ駆け出しの無名の存在。そんなクロノスからの突然の申し出にライリーはとても驚きました。しかし、その熱意と実力にライリーの心は動かされ、「よし!」と作曲に取り掛かったのでした。それが45年にわたる友情の始まりでした。

クロノス・クァルテットは1973年、当時22歳だったヴァイオリニストのデイヴィッド・ハリントン(写真右)が中心となって結成。写真中央にテリー・ライリー。
それ以降、ライリーはクロノス・クァルテットのために多くの作品を制作しており、これまでに27の弦楽四重奏曲を作曲しました。ジョーン・ジャンロー(1998年までクロノスのチェリスト)の言葉を借りれば、「テリーは、クロノスが私たちの演奏する音楽をどのように形成していったかを形作った」のであり、逆にクロノスは、ライリーが 「初期のミニマリズムを越えていくのを助けた 」のです。
また、クロノス・クァルテットの創設メンバーであるディヴィッド・ハリントンとライリーは家族ぐるみで交流する親友でもあります。登山中に16歳で急逝したハリントンの息子アダムのために、ライリーは《Requiem for Adam》を作曲し、同名のアルバムは「極めて異質ではあるが、その感情の振り幅に、感動せずにはいられない」(アメリカン・レコード・ガイド)と評されました。